「あの人のおかげで今の私が」と思える人生の恩人がいる一方で、「私の救世主」と思って頼りにした人が全然そうではなかった。むしろ人生に混乱をもたらされたという経験があるかもしれません。
あまりにも劇的な援助者、他者の人生に影響を及ぼし過ぎる援助者というのは、短期的には魅力的ですが長期的にはあまり役に立たなかったり、むしろマイナスだったりすることがあります。
本物と偽物
私たちが困難において援助者に求めることは大抵問題の解決です。そして、そのニーズを引き受けようとする援助者。また実際に解決してくれる援助者はその時には本当にありがたい存在。正に人生の救世主です。
けれども、あなたの問題を代わりに解決してくれる人はあなたを本当に助けてくれる人ではありません。なぜならば、そこであなたが学習することは援助者への頼り方であって、あなた自身は何も変わっていないのです。むしろ依存のスパイラルの深みに陥ってしまいます。
本当の援助とは自分が直面している問題に自分自身で向き合い、時間がかかったとしても乗り越えていく力を身に着けられように支え導くことではないでしょうか。
そして本物の援助・支援は実際には物凄く地味で成果が見え辛く、評価されることが少なく、それでいて多くの時間と忍耐を要するものなのです。劇的であったり目立ち過ぎる援助は大抵偽物です。
子どもたちの成長
子どもたちとじっくり関わっていると、子どもたちの内に「前に進もう、挑戦しよう」とする前向きな思いが潜んでいることに気がつくことがあります。でも、色々な事情でそれが中々表に出てこないのです。
自信が無い、怖い、寂しい、過去の失敗、自己像の傷、色々な要因があるでしょう。それで脇道に逸れたり、無気力になったり、反抗的になったり、甘えたりするのです。
でもどこかのタイミングでそういう自分に満足できずに「やっぱり前に進みたい、自分の人生を歩みたい、挑戦したい」という意欲が現れることがあります。その時にホンの少し背中を押してくれる人がいるかいないかが、人生の分かれ道になるのです。
「あなたの挑戦を応援しているよ。失敗したっていいんだよ。いつもあなたの味方だよ」と、地味であってもその子らしい歩みを応援してくれる存在が本物の援助者です。
紙一重
人生は紙一重。ですから、本当に必要とされる援助も実は紙1枚程度と言えるのかもしれません。しかし、しばしば援助する側が紙1枚の援助では満足できずに、紙10枚、20枚分になりたくなってしまって、結局本人の成長の芽を摘んでしまうようなことがあるのではないでしょうか。
本当に必要とされている援助は紙1枚。自分を紙1枚に出来るかどうかが本物の援助を提供できるかどうかのカギになります。
誰かの人生に劇的に関わることなど出来ません。仮に出来たとしてもそれは自己満足に過ぎません。「自分にできることは紙一枚分くらいのこと」と謙虚に認めつつ、心を込めてたった一枚の紙を隣人に差し出していくことです。
本当に必要とされている援助は、些細で地味な、でも掛け替えのない紙一枚なのです。
あなたの掛け替えの無い人生が素晴らしいものでありますように!