伊東市役所のロビーでアフガニスタンで銃弾に倒れたクリスチャンドクター中村哲さんの写真展とドキュメンタリー番組の放映会があり、家族で足を運びました。
放映会の中で、本のタイトルにもなった「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という中村さんの言葉がご友人によって紹介されていました。そうやって信頼に生きた結果、銃弾に倒れた中村さんの生涯を私はどのように受け止めるのか問いかけられているように思いました。
不信の正当化
人に裏切られたり誤解されたり騙されたり、そういうことは本当に辛いです。「人なんか信じちゃいけないな」とそんな気持ちにもなるでしょう。でもそれで「だから私は信じない」と結論付ければこの世は不信で終わりです。
別の見方をすると、私たちは信頼に生きられない自分を正当化するために、他者の不実を求めているとも言えるのかもしれません。
信じられない相手の問題性をあげつらうならそれは確かにその通りです。すべての人間は罪人ですからすべての不信は正当化できます。しかしそこに信頼は生まれません。
信頼はどのように生まれるのか
信頼において問われているのは相手の誠実さではなく自分自身の決断です。
イエス様はまったく信頼足りえない裏切り者の弟子たちを信頼してくださいました。そうやってイエス様に信頼されることの中で、弟子たちは信頼に応える者へと変えられていきました。信頼において問われているのは相手ではなく自分自身なのです。
自分の生かされている場所で信頼を広げる生き方ができたら幸いです。そして身近なこと・世界のこと、様々な出来事において不信を広げ不信を正当化するような話しに私は加担しない者でありたいと願います。
銃弾に倒れつつ「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」との言葉を残した中村さんの生き様・死に様に、信頼に生きることの本質を教えていただきました。