画一的価値観の問題

画一的な価値観で測られ傷ついている子どもさん、自信を失っている子どもさんにしばしば出会います。例えば学校が掲げる価値観は、上手く適用できる子どもには良いですが、それとは違う持ち味の子どもには画一的で暴力的にさえ感じられるものです。
当たり前のことですが職人・会社員・公務員・自営業者・芸術家・起業家・宗教者、それぞれの職業で求められる適性には違いがあるわけで、一つの測りで比較することは不可能です。ある職業においてプラスの能力が別の職業ではマイナスとなり、その逆も当然あるわけです。
教会は全ての人が神様によって創られたゆえに等しく価値があり、それゆえに全ての人には固有の賜物、固有の使命があると信じています。ですから教会が考える教育とは、それぞれの個性・適性に応じて成長を援助することであって、一つの価値観に子どもたちを当てはめて優劣をつけることではありません。
評価される場所がある

私たち大人も同じです。ある程度の年齢になると、職場や会社、所属するコミュニティの中で自分がどのように評価されているかはっきり見えてくるようになります。
そこで評価されない人は自信を喪失したり、「自分は正当に評価されていない」と批判的になるのですが、それはその場所や立場においての価値観・評価に過ぎないわけで絶対化する必要はありません。
別の集団で評価される可能性は大いにあるわけですし、それゆえ自分を評価しない価値観も間違いでは無いのです。
「日本では自己主張の強さや協調性の無い性格をとにかく批判され続け、自分はダメな人間と思い込んでいた。けれどもイギリスでは逆に自分の意見をはっきりと述べる性格を評価され日本に居たときと正反対の評価を得て救われた」
適性の合う場所を見つければよい

私自身のことを考えても、私を前向きに評価してもらえる場所と、まったく目を留められ無い場所と両方があります。幸いにして私は自分が評価されない場所と自分が無関心な場所がイコールなのでストレスを感じません。しかし、もしこれが逆であったらどうでしょう。自分が関心があったり執着している場所と、自分が評価されない場所がイコールだったとしたら、どんなに生きることが苦しいだろうかと思います。
人生に試練や困難は避けられません。正面から向き合い乗り越えていかなければいけない課題はたくさんあります。けれども、なんでも戦えば良い訳ではありません。戦う必要が無い、逃げ出した方がよい問題もたくさんあるのです。
意地になって、適性の無い場所での評価を得ようと戦いに執着するべきではありません。 自分が評価されない場所では、謙遜に自分に欠けていること・苦手なことを認めながら、自分に合った場所・自分に合った生き方を見つければよいのです。
選択できない子どもたち

と、大人の場合はこれで終わりで良いのですが、子どもたちは立場が違います。子どもたちは自分で生きる場所を選べません。子どもは逃げることができないのです。逃げ場のない子どもたちが、優劣ではなく適性の問題に過ぎないのに、劣った人間・ダメな人間と傷つけられ自分を責めている姿は本当に辛いです。
こういう問題を社会や学校のせいにするのではなく、私たち大人がそれぞれの個性を生かして子どもたちを応援していきたいものです。
教会は社会の期待や画一的な価値観に応えられる子どもではなく、神様が一人一人に与えてくださった素晴らしい賜物を発見し伸ばしていく、そんな子育ての応援をさせていただきます。
川奈聖書教会は地域の子どもたちを応援しています!

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