ぐっちーの牧師室から

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番外編

佐村河内氏の事件に思う

投稿日:

(2014年2月 旧牧師ブログより再掲)
交響曲第1番「HIROSHIMA」などの作曲で知られる佐村河内守氏の主要作品の大半が実は作曲家・新垣隆氏によるものだと分かった事件が連日大きく報道されています。

彼らの行為の問題性は明らかです。特に聴覚障害、被爆二世、こうした弱者を装ったやり方はあまりにも悪質です。ただ、ある特定の人の問題として片付けるのではなく、このような事件を生みだした要因をそこに関わる人々が直視することは大切だと思います。

そういう意味で音楽に関わる方々や愛好家がプロアマ問わず率直にこの事件について自分の言葉を発していく必要があるように思います。

私というクリスチャンのアマチュア音楽家が感じたこと、考えたことを自らのブログにまとめたいと思います。

現代のベートーヴェン

佐倉河内氏の「音楽」

テレビをあまり観ないこともあって、佐村河内守さんの音楽は幾人かの方の紹介でyoutubeで聴いたくらいでそれ程詳しく知りません。

漠然とした感想として「聴きやすい音楽だな」と思ったこと。そして現代に生きる作曲家がなぜこういうジャンルで曲を書くのか若干不思議に感じたことくらいで、むしろ遥かに印象的だったのは彼の持つストーリーです。聴覚を失いながら、音を紡ぎだしていくというその作業。そのような中から生まれ出た曲であるという、作曲家と曲が一体化したストーリーが印象深く心に残りました。

被爆二世であること、また特にも音楽をするには決定的なマイナス要因である聴覚の障がいを持ちながら、いやむしろ聴覚障がいを持っているからこそ生みだされる音楽として、彼の作品があることの意味は大きいと感じました。結局その物語が創作であった訳です…。

芸術と人格

音楽に限らず芸術は作品を生みだす人と観賞している人、両者の人格と無関係には存在できません。人を離れて芸術作品が自立することはあり得ない訳で、人と人との間に音楽が存在する以上、そこに関わる人の持つストーリーが影響を及ぼすことは当然です。
ですから、新垣さんという真の作曲家が判明して今度は彼の作品としてこれらの音楽が変わらずに愛されていくかと言えば、当然そうはならない訳です。その音楽に人々が観ていたストーリーが偽物だと分かった以上、まったく違う物に変質してしまいます。

経営のプロである友人の原さんが良くおっしゃっていることは「伝え方」です。原さんの所で勉強しておられるお肉屋さんのチラシをよく拝見するのですが、とても美味しそうで食べたくなります。
値段や品質よりも、そのお肉を食べた人の経験・体験。お肉をお家で調理して起こった家庭での出来事が目に浮かぶように書かれていて思わず手が出てしまうのです。

アイドル信仰と貪欲

今回の佐村河内さん事件の核心は、そのように宣伝されたストーリーが全くのインチキだったということです。これは禁じ手です。でも考えてみると、世の中こういうことは珍しくありません。

今人気のアイドルグループ、メンバーは恋愛禁止だそうです。10代・20代前半の少女たちが恋愛をしていない、そんなはずないこと、誰にでも分かります。
無理して装っている。その人本来の人格を歪めて売り出しているだけです。しかし、演じる側も応援する側もお互いに「これは真実だ」と信じ合うのです。

そうやって演じる側は、本当の自分を殺して生きることで評価を得、観る側は自分を殺してファンの理想を演じるアイドルに時間とお金を使う。
虚像を演じる人と虚像を支える人、両者の間に成立する共依存関係はこの社会の縮図だと私は思います。「どちらが」ということではありません。両者が求め合っているのです。
今回の佐村河内さんの事件に、私は現代社会が持つアイドル信仰、あり得ない虚像を求める貪欲の問題を思います。だから彼が犠牲者だということではありませんが、このような偽りを暗躍させてしまう土壌が何かを考える必要があると思うのです。

私たちは劇的な物を求め過ぎるのではないでしょうか。佐村河内さんのキャッチフレーズは「現代のベートーヴェン」だったそうです。
偉大なクラシックの作曲家は沢山いますが多くの作曲家は生前それ程高く評価されていません。歴史の中で熟成されながら、巨匠としての地位を得たのであってリアルタイムでは無い。だから良いとさえ私には思えます。
現代にベートーヴェンは居ない、そのことを弁えられないわがままなアイドル信仰を私たちは反省する必要があるのではないでしょうか。

プロフェッショナルとアマチュアリズム

もう一つの側面について書いて終わります。
私は今教会の聖歌隊、そして市内の弦楽合奏団の指揮・指導をしています。どちらももちろんアマチュアです。技術的には未熟です。しかし、しばしば非常に豊かな音楽をそこに経験します。聖歌隊のコンサートでは毎回涙を流して聴いて下さるお客さんがおられます。

こうした経験を通して「アマチュアリズム」ということを考えさせられるのです。
プロフェッショナルな方が専門性を持って突き詰めて勉強していき、結局そこで行きついたこと。専門家として提示される事柄が一般人には意味の分からないものであるということが起こります。

人と人との間に存在する音楽は、技術的に劣ったアマチュアの方々の音楽であっても深い感動を生みだします。いや、アマチュアだからこそ生みだすことのできる感動があると言えるでしょう。

一方、プロは専門性において厳しく問われます。それは当然のこととして、しかしプロフェッショナルである方がアマチュアリズムを失ってはいけないのです。高い専門性を持ちながら、一般の人々・愛好家と共有できる音楽の喜び・アマチュアリズムを持ち続けていなければ、プロフェッショナルな音楽家として本来ある意味を失ってしまうのではないでしょうか。

まとめ

私は今回の出来事が、プロフェッショナルな世界において見落とされがちなアマチュアリズムと、愛好家が求めるアマチュアリズムの枠を超えたアイドル信仰と、この両者の隙間に起こった事件なのではないかと考えています。

そして、これらのことが音楽の世界に留まらない現代に共通する問題に思えてなりません。自戒を込めて長々と書きました。

-番外編


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