ぐっちーの牧師室から

牧師ぐっちーの日々の気付きやメッセージを皆さんにお届けします。

番外編

防犯カメラから考える地域のこと、歴史のこと

投稿日:2020-06-18 更新日:

町内の防犯カメラ

教会の前に防犯カメラが設置されました。町内会が犯罪の無い街づくりのためにと数年かけて準備をされたことです。

コロナ禍で社会的距離の重要性が認識されるようになり、都心の密集のリスクに対して地方での生活が見直されています。田舎生活そのものがソーシャルディスタンス。しかし反面、目の届かない死角が多いリスクでもあります。

子育てをしていると田舎道に不安を感じることが多々あるので、こうして必要な場所に防犯カメラを設置するのは犯罪抑止の効果があると思います。私も大賛成。ご苦労してくださった方々に感謝を申し上げます。

これから書くことは決してクレームではありません。

戦時中、教会に起こったこと

戦時中、日本のキリスト教会は弾圧を受けた歴史があります。

戦時中の教会讃美歌集には君が代が印刷されていました。礼拝において君が代斉唱や皇居に向かっての宮城遥拝などが行われたのです。

毎週の礼拝は特高警察の監視下に置かれ、検挙・投獄された牧師や信徒が多数おりました。 教会の礼拝が監視されそこに集まるメンバーが目を付けられ様々な迫害を受けたのです。

私の教会の90歳の信徒さんは、お父上が教会の役員をしておられたがゆえにアメリカのスパイと地域でレッテルを貼られ迫害を受けた様子を生々しく証言しておられます。

このように教会が監視され抑圧された歴史ゆえに、率直に言って教会の前に防犯カメラが設置されることに戸惑いを感じたのは偽らざる思いです。

繰り返しますが、今回の防犯カメラ設置について私は地域の住民として、特に子育て中の親として肯定的に受け止めています。しかしそれとは別にして、日本のキリスト教会が経験した過去が私の中にも息づいているゆえに、防犯カメラが教会の敷地内の電柱に設置されている光景に特別な感情を抱くのです。

被害者の思い

「大げさな」と思う方もおられるでしょうが、あえてこうしてブログに書いたのは、被害者感情について発信する良い機会だと思ったからです。

被害を受けた当事者たちにとってその体験は思いのほか根深いものです。過去の傷や痛みゆえに、それを知らない人には時に「過剰・過敏」と思えるような反応も起こりますが、そういう声を面倒と退けるようになる時に同じ過ちを繰り返すのが歴史の常ではないでしょうか。

「教会が監視された。礼拝に集まってくる信徒が監視され迫害された」、そんなことは今の時代に起こるはずがない。ましてや地域の防犯カメラと結びつけるなど論理の飛躍と思われるかもしれませんが、しかしそういうことを経験した信徒さんが教会の中に今もいらっしゃいます。形を変えていつ類似の事態が起こってもおかしく無いと私は思います。

だからなんでも反対と言うわけではありません。死角の多い地方において、防犯カメラを有効に活用していくことにむしろ賛成です。

けれども、良かれと思ってしたことが、後になって当初の目的から外れて思いもよらない形で悪用される危険性をも認識する必要があります。これもまた人間の歴史の常なのです。

まとめ

アレッと思う戸惑いや抵抗感を言葉にして発信していくことは大切です。「うるさいやつ」と思われるのはイヤですが、しかし聞かなければ知り得ないことがたくさんあります。防犯カメラ一つが、いつ悪用されるか分からないと歴史を通して認識することは決してオーバーなことでは無いのです。

面倒であっても、そこに集まる人々の様々な立場・経験を通して一つの事柄を多角的に検討し、最適解を導き出していく。社会やコミュニティの健全さを保つために不可欠な作業です。

私もコミュニティの一員としてこれからも声をあげ、また自分と違う立場の方々の声に耳を傾け、良い地域を作っていきたいと思っています。そしてせっかく設置された防犯カメラが地域の皆さんの生活を守るためのものとして正しく活用されていくように見守っていきます。

 

-番外編


  1. aki-suu より:

    山口先生、ブログ読みました。実は私も川奈聖書教会の前にカメラ設置、の先生のあの日のFacebookに「いいね」し難い自分がいたのを思い出しました。小室山町内会からの発案であるならとても健全に見えます。それでも、1910年治安維持法の頃からの歴史を思い出すと、ですね。。でも山口先生はちゃんと目的外使用の可能性も察知の上で、100%信じる思いを込めて、防犯カメラは賛成とのアピールをされていたんですね。
    逆にこちらはそのカメラを本来の目的、「防犯」のため十分用いさせて頂き、犯罪抑止力に貢献してもらうばかりですね。
    私の住む地区は防犯カメラがゴミステーションにしかないため、通学路は本当は怖いです😅。
    カメラが有ることの守りが、神様によって十分発揮されますよう祈り願います。

    • admin より:

      aki-suuさん、丁寧なコメントありがとうございます。私もakiさんと同じで、カメラ見て最初にパッと思うことはこちらのブログに書いたようなことです。良く分かります。でも、それだと内輪のイイネで終わってしまうんですよね。我々キリスト教界内のイイネ・イイネは全然意味無いので、地域に届く言葉を考えないといけないと、それをいつも思っています。善意でカメラを設置してくださった方々の思いをまず信じ受け止めることなしに、どんなに言葉を尽くしてみても間違いなく聞かれません。facebookは100人のクリスチャンからのイイネより、地域の方1人のイイネに価値があると言うのが持論。。。読み取って共感していただきとっても励まされました!

      • aki-suu より:

        100人のイイネより1人のイイネ。それが地域へ拡がる山口先生の交流力の原点なのですね。とっても大事なことですね!!

admin へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

中村哲さん写真展を通して信頼について考える

伊東市役所のロビーでアフガニスタンで銃弾に倒れたクリスチャンドクター中村哲さんの写真展とドキュメンタリー番組の放映会があり、家族で足を運びました。 放映会の中で、本のタイトルにもなった「人は愛するに足 …

小さなことに大きな可能性が

G-CLEF 【G-CLEF】というアコスティック楽器を使ったバンドが活躍していたのをご記憶の方いらっしゃるでしょうか。 あのG-クレフの中心メンバーだったヴァイオリニストの後藤勇一郎さんが、中学生の …

佐村河内氏の事件に思う

(2014年2月 旧牧師ブログより再掲)交響曲第1番「HIROSHIMA」などの作曲で知られる佐村河内守氏の主要作品の大半が実は作曲家・新垣隆氏によるものだと分かった事件が連日大きく報道されています。 …