先日車の中でおしゃべりをしていて90代の信徒さんからこんな話しを伺い感銘を受けました。
自分で買った宝物のテニスラケット
戦前・戦中の貧しい時代、ご兄弟が多く苦労の多い家庭だったそうです。弟さんが高校でテニス部に入部するのですが、親に余計な心配をかけまいとそのことを一切家族に話さなかったそうです。当然自分のラケットを買うお金が無いので、学校の備品のラケットを何人かと代わりばんこで使い、休憩時間に友達のラケットを貸してもらい、そうやってテニスの練習に励まれたそうです。
すっかりテニスの楽しさに魅了され、いつか自分のテニスラケットが欲しいと念願なさるようになるも、ご両親の苦労を察してテニスラケットが欲しいことはもちろんテニスをやっていることすらも内緒にし続けられたそうです。
そうして弟さんはどうしても欲しいテニスラケットを買うために、ご自宅から高校までバスで通わなければいけない距離を毎日歩いて通学し、バス代を2年半貯め続けてついに部活を卒業する少し前にテニスラケットを購入されたのです。
弟さんが抱きしめるように新品のテニスラケットをお家に持って帰ってきて「実はテニスをやっている」と話した時の驚きとその嬉しそうな顔が今でも忘れられないとおっしゃっていました。なんとその弟さんは80歳を過ぎているのですが、今でもテニスを楽しんでらっしゃるそうです!
本当の豊かさとは
なんとステキな話しでしょうか。物のあふれる時代の中で、こんなステキな宝物を見つける人はなかなか居ないのではないでしょうか。本当の豊かさとは何かを考えさせられるエピソードでした。
何を得るかによってではない、どのようにして得たかによって物の価値、得ることの喜び・豊かさは変わるのです。
現代は「僕テニスやってみたいな」と子どもがつぶやいた次の日にはテニスラケットにテニスシューズ、テニスウエアにテニス教室のチラシまでサッと用意されてしまうような時代です。そうやってすべてが整えられてしまったら、子どもがテニスに夢中になることはないのだろうと思います。
願いながら直ぐには実現しない時間の中で思いは膨らみ高められ、実現するための犠牲を払うことで手に入れたときについにそれは宝となってその人の人生全体に影響を及ぼすのです。
まとめ
子どもが願うものを与えられないことは親にとって辛いことですが、でもそれは可愛そうなことではありません。与えたいと願いながら与えられない経験の中でこそ、子どもは生涯の宝になるものを見つけるチャンスを得るのです。何を得るかではなく、どのようにして得るか、それが大切です。
子どもさんに何か関心を持たせようとしたり、熱心にさせようとしたり、大人が下手に細工すると子どもはかえってうんざりして、せっかく芽生えた興味や好奇心を失わせてしまいます。先回りする親の親切は子どもの人生にマイナス。どんな花が咲くのか楽しみにのんびり待つのが一番の愛情です。
あなたの掛け替えの無い人生が素晴らしいものでありますように!